中越地震 Cafe 2012年01月23日 2004年10月24日三国街道西から、千石街道、北国街道三国街道 であると思う。 三国街道、東海道からうーん、何街道を北上して、北陸道 を東行し、三国街道を南下して、中仙道から、江戸に帰ったのは、伊能忠敬、第4次測量である。 小千谷、十日町、湯之谷 会津領であり、新篇会津風土記に記載されている。 おじや が変換されないが、地名の意味は、褶曲した地形、褶曲断層になっている。 この中越が、活断層帯であったのだ。 180年前に、M6.9があったという。 昨夕、6時前、M6.8があり、 おじや が、地下10kmの浅いところで、震源となった。 ガル(加速度)は、1200の最高値を記録した。突き上げて、下がるとき宙に浮くことになる。 浅いので、15分後に、また、3回目は、2回目の25分後に同じ大きさできた。 陸上自衛隊の出動シーンも出たし、 長野県側からの物資の運搬は、朝を待つ。 ヘリコプター、オフロードバイク、ジープは、かっこよい。括弧を行っては不謹慎みたいだが、頼もしい。 被害は、調査報道が拡大してくるのである。 余震が、大きものは、最初の2回だったが、今後も、1週間気を抜くなと、言われている。(気象庁?災害省?)am2時02:21 コメント(0) 編集 ページのトップへ*(ビール)* PR