有島武郎 日記 Cafe 2009年12月14日 明治三十二年六月十四日 Nature は最も良き吾人の師友なり。Byron の、吾れ人を愛するの少きにあらず nature を愛するの多きなりと云えるもの、実に万世の至言にあらずや。余は人に於て一端の模範を捉え得べし。されども nature は万端の模範を供するものにあらずや。噫、余常に此 nature に親炙するの権を有し、之れより凡てを聞くの能を有して、而かも一老者の死に斯の如く筆を費すとせば矛盾にあらざらんや。「死者をして死を葬らしめよ」、余亦之れを知れり。されども死児は顔好きもの多し。吾人は天を望む時群星より眼を退けて、嘆嗟を以て忽如として消え行く流星に心を注ぐなきか。噫、余の筆を此に費す所以なり。明治三十二年六月十四日 七月七日。汝は人に対して傲慢ならずとて、自ら慢り得るか。神に対する無上の傲慢を如何にせんとする。嗚呼、眼を挙げて天地の至大を見、日月の燦然として懸かり雲虹の蕩然として逝くを望む。人類の為せし事業、為し得る事業は果して何ぞ。汝は何の故を以て自ら独立するを得るか。其智識を以てか。憐むべし、汝の智識は遂に三次の質問を明瞭に答うる能はざるなり。*(温泉)* PR
イエス以後の2千年 Cafe 2009年12月14日 小さき者へ *(本)* 新潮文庫 現代仮名遣い・新漢字 お前たちが大きくなって、 一人前の人間に育ち上った時、---その時までお前たちのパパは生きているかいないか、それは分らない事だが---父の書き残したものを繰拡(くりひろ)げて見る機会があるだろうと思う。その時この小さな書き物もお前たちの眼の前に現われ出るだろう。時はどんどん移って行く。お前たちの父なる私がその時お前たちにどう映(うつ)るか、それは想像も出来ない事だ。恐らく私が今ここで、過ぎ去ろうとする時代を嗤い憐れんでいるように、お前たちも私の古臭い心持を嗤い憐れむのかもしれない。私は、お前たちの為めにそうあらんことを祈っている。お前たちは遠慮なく私を踏台にして、高い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。
後の祭りとは Cafe 2009年12月13日 居た堪らない居たたまれない じっとしていれない 失敗だ。 病院から施設への受け入れ引継ぎを充分に準備する、リクライニング車椅子の安心感が必要だった。 食事のリハビリの一から実験されては堪らない。 瀕死のクライアントに何をするのだ。 祐二の徹底反省検討が半月続いている。 障碍やむことない、懺悔としての医学が立ち上がってきた。*(学校)*