屋既存一丁 Cafe 2010年11月04日 怒言うわけか歩道を人が走ってくる。 塩川三郎も走ってみた。どうやら、高校の体育会だ。 秋の日はつるべ落としの薄闇が沁みてきた。 散歩して、焼き蕎麦を食ってから、コーヒー店でトーストも食った。 血圧に気をつけようと、軽食の親父が言っていた。 眠りが浅い。歌も知れない。 市を川は、マラソンランナーになれるわけも無かったと思った。 せいぜい学校とは、いじめか県下でしかないものだった。 そのような戦後教育であったとも一般に言う。 三郎は、軽食親父も頑張ってるなと思えた。 PR
脳内深津 Cafe 2010年11月04日 未区シー 内で農協職員の会都 農協反対同盟 があり、 入れないほうには入れないのでは入れるほうに入った。 5チームを作成したが、 まだ客が無いので、 グルメに降った、 所沢や気団後 をつくった。
古橋広之進にあらず Cafe 2010年11月04日 戦後オリンピックでは平泳ぎで、潜水して勝利した古橋という人がいた。そのご、潜ったままではいけないというルールになった。 と思ったが、自由形であり、全米選手権で世界記録を出したがヘルシンキでは8位。 古川勝 1956メルボルン で金メダル やはりそういうことはあった。
もちもち Cafe 2010年11月03日 もち米とは何かと思い、広辞苑を引いたが、うるち米が普通の米と解る。 そこで、wikip.をちょっと見ると、 東南アジアは、もち米であり、 日本は3%ほど作付けている。 上新粉は、うるち米である。 餅は、もち、もち米であった。
どん底かのに認識への飛躍 Cafe 2010年11月03日 夜8時冷え込んだと思ったが、それでも10度はある。 田路三造は、夜の会社に向かって外出した。 体調が是津不調だったが、不自由なく歩いていく。 凍結防止の策の電気を入れた。 思わぬ異常気象で一気に寒くならないとは限らないと考えていた。 南の玄関を入ったときはほのかに温かかった。 北側では冷えただろう。10分ほどで直ぐに折り返して 田路三造は一旦家に荷物を置いてから外食に出た。 外食は快調に進んだ。問題ない。 むしろ、甘いお菓子ばかり食べたので、調子悪かったとわかった。 一つの悟りが出た。 もう、訣別から1年になろうとしていた。 絶不調で寝ていたが眠れないので、会社に言ってきた。凍結が怖ろしかった。親は家で暮らすべきだったとした。 家庭の不和、すなわち兄弟が、その家で、介護すべきだったが、 嫁がやらなかった。 隠して病院で死ぬ羽目になり、 不幸な、不和が最終的苦痛に結果したと認識できる。 田路三造は吹っ切れたかに思えた。