ケーススタディ Cafe 2008年01月03日 農学博士田端義則は、農事試験場に勤務した人で、祐次の従姉妹の亭主だった。 義則の母親が一人暮らしとなって、県外に住む娘宅にも息子宅にも世話にならずに年を経たが、やむなく、地元の老人ホームに入所させた。 ここで、転倒して両足首を骨折した。 部屋は個室でトイレがあった。次第に、 歩行は困難になってきていた。 老人の転倒骨折ないし、腰を痛めるなどがある。 脚の骨折後、元通りにならず、びっ子を引くことになる。祐次の従兄弟の峰高太郎の母がそうだった。 読者も著者も名前を覚えるのが困難になってくる。 老人ホームで骨折して、病院に入院し、介護療養型病棟の病院に転院し、長期リハビリ、そこから老人健康保健施設:老健に行ったが、ここで転倒し肩を骨折した。 トイレに自力で向かう人だった。 ともかく、オムツの介助を受けることを嫌った。 特に異性の看護士を遠慮した。 その、歩こうとする気持ちが3回の骨折を結果したのだという。 骨盤陥没。 最期は、もう一つの介護療養型病棟であった。 母親をトイレへサポートする義則が、腰を痛めたことがあるという。 高太郎もまったく同じことを言った。 本家 佐和子が友人の転倒骨折が予後を引き、自らも体調を崩したと言った。 佐和子宅に友人桑田恵子は秘書として同居していた。 PR