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ケーススタディ

農学博士田端義則は、農事試験場に勤務した人で、祐次の従姉妹の亭主だった。
 義則の母親が一人暮らしとなって、県外に住む娘宅にも息子宅にも世話にならずに年を経たが、やむなく、地元の老人ホームに入所させた。

 ここで、転倒して両足首を骨折した。

 部屋は個室でトイレがあった。次第に、

 歩行は困難になってきていた。


 老人の転倒骨折ないし、腰を痛めるなどがある。

  脚の骨折後、元通りにならず、びっ子を引くことになる。祐次の従兄弟の峰高太郎の母がそうだった。

 読者も著者も名前を覚えるのが困難になってくる。

 老人ホームで骨折して、病院に入院し、介護療養型病棟の病院に転院し、長期リハビリ、そこから老人健康保健施設:老健に行ったが、ここで転倒し肩を骨折した。

 トイレに自力で向かう人だった。

 ともかく、オムツの介助を受けることを嫌った。

  特に異性の看護士を遠慮した。

  その、歩こうとする気持ちが3回の骨折を結果したのだという。

  骨盤陥没。

 最期は、もう一つの介護療養型病棟であった。

 母親をトイレへサポートする義則が、腰を痛めたことがあるという。
 高太郎もまったく同じことを言った。

 本家 佐和子が友人の転倒骨折が予後を引き、自らも体調を崩したと言った。
 佐和子宅に友人桑田恵子は秘書として同居していた。

 

 
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ケーススタディ

農学博士田端義則は、農事試験場に勤務した人で、祐次の従姉妹の亭主だった。
 義則の母親が一人暮らしとなって、県外に住む娘宅にも息子宅にも世話にならずに年を経たが、やむなく、地元の老人ホームに入所させた。

 ここで、転倒して両足首を骨折した。

 部屋は個室でトイレがあった。次第に、

 歩行は困難になってきていた。


 老人の転倒骨折ないし、腰を痛めるなどがある。

  脚の骨折後、元通りにならず、びっ子を引くことになる。祐次の従兄弟の峰高太郎の母がそうだった。

 読者も著者も名前を覚えるのが困難になってくる。

 老人ホームで骨折して、病院に入院し、介護療養型病棟の病院に転院し、長期リハビリ、そこから老人健康保健施設:老健に行ったが、ここで転倒し肩を骨折した。

 トイレに自力で向かう人だった。

 ともかく、オムツの介助を受けることを嫌った。

  特に異性の看護士を遠慮した。

  その、歩こうとする気持ちが3回の骨折を結果したのだという。

  骨盤陥没。

 最期は、もう一つの介護療養型病棟であった。

 母親をトイレへサポートする義則が、腰を痛めたことがあるという。
 高太郎もまったく同じことを言った。

 本家 佐和子が友人の転倒骨折が予後を引き、自らも体調を崩したと言った。
 佐和子宅に友人桑田恵子は秘書として同居していた。

 

 

電話療法

 3時に早く寝た。このごろ朝になってから寝ていた。珍しく9時に起きた。

 奇跡的な晴れ間を縫って、魔の山に行ってこれた。

 午後4時 寒波が押し寄せてきているのだった。


 祐次は、魔の山から電話を掛け、親美也子が本家の当主である姪の佐和子に新年の年賀状のお礼を述べた。美也子は

 特に話す事柄はなかった。耳が悪いので一方的に挨拶した。

  
  電話を掛けることで、施設生活の張りが出るだろうか、テレホンカードは便利なものである。

  携帯を持っていたほうが良いのだろうか。

 扱えないだろうが。
 
 祐次は介護論的電話戦略を考えている。

電話療法

 3時に早く寝た。このごろ朝になってから寝ていた。珍しく9時に起きた。

 奇跡的な晴れ間を縫って、魔の山に行ってこれた。

 午後4時 寒波が押し寄せてきているのだった。


 祐次は、魔の山から電話を掛け、親美也子が本家の当主である姪の佐和子に新年の年賀状のお礼を述べた。美也子は

 特に話す事柄はなかった。耳が悪いので一方的に挨拶した。

  
  電話を掛けることで、施設生活の張りが出るだろうか、テレホンカードは便利なものである。

  携帯を持っていたほうが良いのだろうか。

 扱えないだろうが。
 
 祐次は介護論的電話戦略を考えている。

墓石は雪に埋まるであろう

 美也子への年賀状は只一枚 佐和子からだった。

夕方になって雪は 小降りから本降りになっている。
元日の濡れ雪はいや増し 屋根の積雪がこの冬どのようなサンカに至るか、雨だれの音はしていたし、早くも 独りでにこけている。

 長男の洋市は、施設から遠くに住んでいる。たまに出向いてくる。

 親の美也子は、死んでこの長男が守る墓すなわち嫁ぎ先の誉田家の墓所に入りたくない。

 実家の川上家のより広大な墓地に、父母とともに収まりたいと思っていた。

 ところが、川上家の当主である佐和子は、美也子のその願いを拒否した。

 昨年、子のない佐和子と親戚の藤堂家の間で、養子縁組があった。藤堂浩が次期当主となる。

  そこで、浩の親である藤堂誠、養子縁組を画策した当の張本人であるが、こちらに話を持ちかけて、親の墓を頼んでみることが良いと、祐次は洋市に交渉を提案することを思い至った。

 それは、親が死んでからではなく、親に、行き着くサキを得た、生きている安心感として元気をもたらすだろう。
 そう思った。